クレイマー・クレイマー(3)




「こわいよ、こわいよ、ぞうさん、こわいよおお!!」
 激しく泣き出した朋也を見た忍足は、慌てなかった。しっかり我が子を抱え直すと、優しくあやすように、そのしゃくりあげる小さな背中を撫でながら諭した。
「朋くん、ぞうさん、こわい?」
「ひっく、ひっく、こわい・・・・」
「大きいもんねえ」
「おっきい、よ・・・・こわいよお!」
「せやけど、ちょっと顔を上げて見てみ? ん? ほら、ぞうさん、ごっつ優しい目で朋クンを見てはるんやで? 朋クン、なんで泣いちゃったんやろうって、ぞうさん、困ってはるで?」
「・・・・・・」
 父にあやされ、少し感情が落ち着いてきた朋也は、涙に濡れた顔をようよう上げて、忍足を見上げた。父の漆黒の瞳が穏やかにまたたき、静かに自分を見下ろしている。朋也はその父の瞳に励まされるように、おそるおそる象を振り返った。
 象は、気のせいか、忍足の言うとおり少し戸惑ったような目で、涙でぐっしょり濡れた朋也を見つめていた。象の目は小さく、細かったが、その目は朋也を親愛をこめて見つめていた。父の慈愛の瞳と、象の穏やかな視線に挟まれて、朋也は泣きやんだ。恐怖心も、徐々に朋也の心から落ち剥がれていく。
 再び、象が長い鼻で朋也の頬を撫でてきた。朋也はビクッとしたが、それでもおずおずと象の鼻に手を伸ばした。朋也の小さな手が鼻の上皮をそっと撫でると、象は気持ちよさそうに目を細めた。足元の子象が、嬉しそうにパオ〜ンと鳴いた。朋也は嬉しくなった。その時、忍足が口を開いた。
「朋クン──それが、朋クンが今触っているソレが、<ぞうさんのお鼻>やで? わかる?」
「うん! お鼻、長いお鼻!」
 朋也は、万感胸に込み上げる思いで、父を見上げた。忍足は微笑んだ。
「ぞうさんぞうさん、歌ってみ?vv」
「いいよ。

 ♪ぞ〜うさん ぞ〜うさん
    
お〜鼻が 長いのね
      そ〜うよ かあさんも 長いのよ


「歌えた!」
「完璧やね、朋クンvv すごいわ、歌えたやんかvv」
 朋也は顔を真っ赤にし、繰り返し繰り返し歌いながら、象の鼻を撫で続けた。象は、ひとしきり朋也と遊んでから、またゆうゆうと柵の真ん中へ子象を連れて戻っていった。朋也は、その後ろ姿を、つぶらな目をいっぱいに見開いて、じっと見送った。


 動物園を見終わった後、忍足と朋也は西郷隆盛像の近くにある<森のレストラン>に入った。
「景ちゃんが夕飯用意しとるやろうから、あんま食べていかれへんねん。おやつだけ、食べような?」
「うん」
 忍足と朋也は相談して、珈琲とホットミルクと洋梨のパイを注文した。レストラン内には、低く音楽が流れていて、オレンジ色の照明の下、客も賑やかに談笑している。ガラス張りの壁からは上野の森が見透かせた。JRの駅にも近い場所なので、回転も速い。すぐに二人の目の前にケーキと飲み物が運ばれてきた。
「「いただきます」」
 忍足は、朋也と向かい合わせの席に座っていた。母と外で食事するときは、いつも母の膝に座らせられている朋也にとって、一人でレストランのシートに腰掛けることは、何だか一人前のオトナ扱いをされたような気持ちだった。慣れていないためお尻が落ち着かないが、しかし何やら晴れがましい気持ちが胸をくすぐる。
 忍足がホットミルクに角砂糖を入れてやりながら、ひょいと目をあげて我が子を見やった。
「どないしたん、朋クン? ニコニコして・・・・」
「朋、楽しいの!」
「さよか」
 息子の言葉に、忍足も嬉しくなった。パイを食べやすいようにナイフで切り分けてやりながら、
「俺も朋クンと二人で、めっさ楽しいよvv またデートしよな?vv」
「うん! うん!」
 朋也は激しく頷いた。忍足は、幸福で涙が出そうになった。
(あかん。何を俺、こんなに感動してんねん!)
「ここ出たら、帰る前にちょっとアメヨコに行ってええか? 景ちゃんのために生きの良いお魚、買うていってあげたいねん。それと、姫ちゃんや朋くんのためのおやつを<仁木の菓子>で買ってこ?」
「うん!」
 朋也は、さっきから「うん」しか言えなかったが、その短い言葉に幸せを詰めるだけ詰め込んでみせた。そして、そっと向かいの席の忍足を眺めた。<ぞうさんぞうさん>の歌詞が、朋也の頭の中でクルクル回っている。

 ♪そ〜うよ かあさんも 長いのよ

 さっきの子象は、オトナの象にそっくりだった。その事実と歌の歌詞とが、この時、晴れやかな父の笑顔と重なって、人生の真実の一断面を朋也にかいま見せた。
(ぞうさんのお鼻が長いのは、ぞうさんのおかあさんもお鼻が長いからなんだ、よ。だから、朋も・・・・)
 夕暮れが迫ったレストランの鏡は、照明と共に店内の様子を映し出していた。ガラスに、忍足と並んで小さな朋也の顔も鮮やかに映っている。朋也は、じっと忍足を眺めながら、ふいに目の前に開けた未来の予感にうち震えた。父の漆黒の髪、端正な顔立ち、優しく底深い瞳、器用な指先、長い脚──このすべてを、やがて自分も引き継ぐのだ。
 姫香が常に跡部を意識しているのに比べ、朋也は今まで自分と忍足の相似をほとんど意識していなかった。それが、今、柔らかい童謡の調べを伴って、運命という名のもとに朋也の認識を新たにした。
(朋は、いつか、とうさまになる・・・・!)
「景ちゃんが待ってるから、そろそろ行こか?」
 そう言って、忍足が腰をあげた。朋也は父に抱き上げらると、その肩に顔を埋めた。
「疲れた? 朋くん?」
 忍足が静かに聞いた。朋也は小さく首を振った。幸福に混じった、ほんの少しの哀しみが、なぜともわからず朋也の青い瞳を濡らした。

 レストランを出る二人の頭上に、夕星が白く、かすかに輝いていた。



子供の成長には、喜びと一緒に、ほんのちょっぴり切ない感情が交じります☆
朋くんもこうして、少しずつ少しずつ、オトナになっていくんですね・・・・。


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